《東西新聞》(読み)とうざいしんぶん

世界大百科事典(旧版)内の《東西新聞》の言及

【東京絵入新聞】より

…しかし自由民権運動が衰退するとともに急速に部数が減り,86年には5000部を割り,1万3000部の《読売新聞》に大きく水をあけられた。そして89年に《東西新聞》と改題されたが,まもなく廃刊となった。創刊時から落合が経営の実権を握っていたが,《朝日新聞》や《読売新聞》のような報道重視の新聞史の流れに対応した編集方針を打ち出せなかった。…

※「《東西新聞》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む