松平光重(読み)まつだいらみつしげ

世界大百科事典(旧版)内の松平光重の言及

【大坂城代】より

…任期は不定で,寛永・正保期の阿部正次(21年),寛文・延宝期の青山宗俊(16年),元禄~正徳期の土岐頼隆(21年)が長期間であるが,1年未満もあり,数年で動く例が多かった。承応~万治期には水野忠職,内藤忠興,松平光重の3名が,3年ついで1年で交代し勤務していたこともあった。役知1万石,四位,屋敷は城内二の丸千貫櫓北,下屋敷は城外西の現法円坂町にあった。…

【戸田氏】より

…近世大名。正親町三条(おおぎまちさんじよう)家の支流ともいわれ,中世三河国の大族,戸田宗光より出る。宗光嫡流の康長は徳川家康から松平姓を賜り,所々に封じられて最後は信濃国松本城主となる(7万石)。その子の康直は播磨国明石城主に,次の光重は美濃国加納城主に,孫の光熙(みつひろ)は山城国淀城主に転封され,次の光慈(みつちか)は志摩国鳥羽城主,ついで1725年(享保10)に松本城主に移されて,以後明治に至った(松本藩)。…

※「松平光重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」