朝日日本歴史人物事典 「松平輝貞」の解説
松平輝貞
生年:寛文5(1665)
江戸中期の幕臣,大名。武蔵川越藩主甲斐守輝綱の6男。寛文12(1672)年父の遺領の内5000石を知行し,元禄2(1689)年中奥小性から徳川綱吉の側衆に進み,従五位下右京亮に叙任。4年叔父因幡守信興の臨終養子となり,常陸土浦3万2000石を相続。5年下野壬生に移封。翌6年側用人,7年1万石加増のうえ従四位下右京大夫に叙任。そののち侍従に昇り,上野高崎7万2000石を領したが,宝永6(1709)年綱吉没後側用人を辞職。6代将軍家宣時代には越後村上に転封されたが,8代吉宗時代に旧領高崎に戻り,老中職を務めた。律儀な性格で,終生綱吉の恩顧を忘れなかったという。
(深井雅海)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報