松平輝貞(読み)まつだいら てるさだ

367日誕生日大事典 「松平輝貞」の解説

松平輝貞 (まつだいらてるさだ)

生年月日:1665年6月20日
江戸時代中期の大名
1747年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松平輝貞の言及

【高崎藩】より

…このとき1万石(総社領)加増された。95年(元禄8)安藤氏が備中松山に去ったあと,下野壬生から松平(大河内)輝貞が入封,輝貞は将軍綱吉の側用人となり,所領も2万石加増されて7万2000石を領したが,綱吉の死後越後村上に転じ,代わって間部詮房(まなべあきふさ)が5万石で入封した。しかし1717年(享保2),松平輝貞が詮房と交代して再入封,以後松平(大河内)氏が10代,170年間在城した。…

※「松平輝貞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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