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松平輝貞 まつだいら てるさだ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平輝貞 まつだいら-てるさだ

大河内輝貞(おおこうち-てるさだ)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

松平輝貞

没年:延享4.9.14(1747.10.17)
生年:寛文5(1665)
江戸中期の幕臣,大名。武蔵川越藩主甲斐守輝綱の6男。寛文12(1672)年父の遺領の内5000石を知行し,元禄2(1689)年中奥小性から徳川綱吉の側衆に進み,従五位下右京亮に叙任。4年叔父因幡守信興の臨終養子となり,常陸土浦3万2000石を相続。5年下野壬生に移封。翌6年側用人,7年1万石加増のうえ従四位下右京大夫に叙任。そののち侍従に昇り,上野高崎7万2000石を領したが,宝永6(1709)年綱吉没後側用人を辞職。6代将軍家宣時代には越後村上に転封されたが,8代吉宗時代に旧領高崎に戻り,老中職を務めた。律儀な性格で,終生綱吉の恩顧を忘れなかったという。

(深井雅海)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の松平輝貞の言及

【高崎藩】より

…このとき1万石(総社領)加増された。95年(元禄8)安藤氏が備中松山に去ったあと,下野壬生から松平(大河内)輝貞が入封,輝貞は将軍綱吉の側用人となり,所領も2万石加増されて7万2000石を領したが,綱吉の死後越後村上に転じ,代わって間部詮房(まなべあきふさ)が5万石で入封した。しかし1717年(享保2),松平輝貞が詮房と交代して再入封,以後松平(大河内)氏が10代,170年間在城した。…

※「松平輝貞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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