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大河内輝貞 おおこうち てるさだ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大河内輝貞 おおこうち-てるさだ

1665-1747 江戸時代前期-中期の大名。
寛文5年6月20日生まれ。松平輝綱(てるつな)の6男。将軍徳川綱吉(つなよし)の小姓となり,元禄(げんろく)4年叔父大河内信興(のぶおき)の家督をつぐ。下野(しもつけ)壬生(みぶ)藩,上野(こうずけ)高崎藩,越後(えちご)村上藩をへて,享保(きょうほう)2年高崎藩主大河内(松平)家初代。7万2000石。将軍徳川吉宗(よしむね)につかえ,15年老中格。延享4年9月14日死去。83歳。初名は武綱(たけつな)。通称は酒之丞。右京大夫(うきょうのだいぶ)。

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世界大百科事典内の大河内輝貞の言及

【高崎藩】より

…上野国(群馬県)高崎城に藩庁をおいた譜代中藩。1590年(天正18),同国箕輪城12万石に封ぜられた井伊直政が,幕命により98年(慶長3)中山道に沿う旧和田城に移城して立藩。このとき高崎と改めた。以後藩主の交代7氏。直政は和田城の改修,城下町の整備に着手したが,1601年近江佐和山に移り,その後諏訪頼水の城代を経て,04年酒井家次が下総臼井から入封(5万石)。在城12年の間に大坂の陣に参戦,16年(元和2)越後高田に移り,代わって松平(戸田)康長,松平信吉が相次いで入城したがともに在城は短く,19年安藤重信が入って重長,重博と3代77年間安藤氏が在封した(5万6600石)。…

※「大河内輝貞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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