朝日日本歴史人物事典 「松平輝高」の解説
松平輝高
生年:享保10.8.29(1725.10.5)
江戸中期の老中。寛延2(1749)年2月上野国高崎藩(群馬県高崎市)藩主就任。宝暦6(1756)年5月~8年10月の間,京都所司代に就任。同11年8月老中,安永8(1779)年7月勝手掛。天明1(1781)年6月,上野・武蔵国に絹糸貫目改所を設け,運上を徴収する政策を打ち出したが,商人が市場にこないため絹市が立たなかった。よって,生産者農民による一揆が起き,一揆勢は,輝高の居城高崎城下にまで押し寄せた(上州絹一揆)。この事態に驚いた幕府は,改所の設置を中止したが,輝高はその直後病死し,様々な風評を生むこととなった。一揆により政策が挫折させられただけでなく,自分の命も失った人物。
(安藤優一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報