世界大百科事典(旧版)内の松竹家庭劇の言及
【渋谷天外】より
…喜劇団〈楽天会〉の主宰者,初代渋谷天外(1878‐1916)の子として京都で生まれ,8歳で同劇団で初舞台を踏んだ。やがて曾我廼家(そがのや)十郎(曾我廼家劇)のすすめで劇作にも手を染め,楽天会解散後は〈志賀廼家(しがのや)淡海一座〉を経て1928年に曾我廼家十吾(とおご)らと松竹家庭劇を結成した。翌年2世天外を襲名して,俳優兼劇作家(ペンネームは館直志(たてなおし))として関西はもちろん東京でも活躍,人気を呼んだ。…
【松竹新喜劇】より
…松竹新喜劇結成のきっかけは,喜劇王といわれていた曾我廼家五郎(曾我廼家劇)が48年11月に他界したことにあった。すなわち,第2次世界大戦後の大阪の喜劇界は,天外と十吾によって28年に結成された松竹家庭劇と曾我廼家五郎一座に大きく二分され,さらに,松竹家庭劇を戦後まもなく脱退し,47年に〈すいーとほーむ〉という新劇団を結成,翌年からは〈新家庭〉と改称して地方を回っていた天外,浪花千栄子,寛美らの劇団があったが,五郎の死で喜劇団の再編成をもくろんだ松竹が,十吾らの松竹家庭劇に新家庭を加え,五郎一座の残党を合流させたのがこの松竹新喜劇であった。旗揚げのプログラムがその事情をよく反映している。…
※「松竹家庭劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」