世界大百科事典(旧版)内の《松鷹図》の言及
【狩野探幽】より
…38年(寛永15)には幕府への多年の功績により法眼に,さらに62年(寛文2)には画家として最高位の法印に叙された。二条城二の丸障壁画《松鷹図》(1626)では,祖父永徳の豪放な巨木表現をさらに大規模に展開すべく意欲を示しているが,そこにはすでに形式の固化がうかがわれる。以後,1634年制作の名古屋城上洛殿障壁画あたりを境に筆数を減じ,余白の余韻を生かした瀟洒(しようしや)で淡白な画風へと転ずる。…
※「《松鷹図》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」