朝日日本歴史人物事典 「林崎甚助」の解説
林崎甚助
生年:天文11(1542)
戦国・安土桃山時代の神夢想林崎流抜刀術(居合)の始祖。名は重信。幼名浅野民治丸。幼くして父を闇討ちで亡くし,仇を報ずるため剣を修行。永禄2(1559)年林崎明神(山形県村山市林崎)に100日間の参籠をし,精励刻苦の末,霊夢の内に居合の妙を得たという。相手がすでに刀を抜いているといないとにかかわらず,その攻撃に対処しうる心身の精妙な働きを型という身体運用技術として伝えたことにより,居合術中興の祖と仰がれている。のちに幾多の支流が生まれ,居合は剣術中の精髄であるとまでいわれるようになった。<参考文献>林崎甚助源重信公資料研究委員会編『林崎明神と林崎甚助重信』
(黒田鉄山)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報