《柳女九重錦》(読み)やなぎさくらここのえにしき

世界大百科事典(旧版)内の《柳女九重錦》の言及

【祇園女御九重錦】より

…寛永期(1624‐44)半ば以降,特に寛文期(1661‐73)には親鸞記物が多作され(《しんらんき》《御かいさんしんらんき》など),また平太郎物には,1666年の《よこぞねの平太郎》,寛文末ごろの《熊野権現開帳》など,ほかに出羽掾正本《都三十三間堂棟由来(むなぎのゆらい)》(山本河内掾作)もあった。本作に先立って,歌舞伎に,1719年(享保4)8月大坂竹島座(中の芝居)の《柳女(やなぎさくら)九重錦》,31年5月大坂佐渡嶋座(角の芝居)の《三十三間堂棟由来》などがある。白河法皇の病気の原因は,前生のどくろが柳の古木の梢にかかってゆれるためとわかる。…

※「《柳女九重錦》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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