世界大百科事典(旧版)内の柳川氏の言及
【柳川一件】より
…1631年(寛永8)対馬の大名宗義成(そうよしなり)と家老柳川調興(しげおき)の御家騒動から,日朝間の国書の偽作・改竄(かいざん)などの不正が露顕して,幕府外交上の大問題となった事件。柳川氏は調興の祖父調信の代に日朝関係の実務派として台頭,朝鮮と日本の中央政権の双方に独自の地位を築いていた。この事件は,35年,将軍徳川家光の親裁によって調興方の有罪に決し,義成はひきつづき日朝関係の管掌を認められた。…
※「柳川氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」