柳生徳政碑(読み)やぎゅうとくせいひ

世界大百科事典(旧版)内の柳生徳政碑の言及

【柳生】より

…また春日社領神戸四ヵ郷のうちに大楊生郷,小楊生郷があった。現在,柳生町の山沿いの道のかたわらに正長の土一揆の際の柳生徳政碑(史)があり,神戸四ヵ郷の債務破棄を明記した文言が残る。新陰流の剣法で知られる柳生氏は当地の土豪で,将軍徳川秀忠,家光の兵法師範をつとめた柳生宗矩は1636年(寛永13)大名に列し,柳生の正木坂に陣屋を置いた。…

※「柳生徳政碑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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