朝日日本歴史人物事典 「桂川甫三」の解説
桂川甫三
生年:享保13(1728)
江戸中期の幕府医官。名は国訓,字は栄修,号は湖月楼。甫三(国華)の嫡子。甫筑(邦教)の孫。寛延1(1748)年将軍徳川家重に拝謁。宝暦10(1760)年奥医師,明和3(1766)年法眼に進み,安永4(1775)年家督を継いだ。訳書に『瘍府』7巻,『瘍科方藪』7巻があり,蘭方外科に通じた。子に甫周(国瑞),甫粲がおり,桂川家は甫周以後,甫謙(国宝)―甫賢(国寧)―甫安(国興)―甫策(国幹)と続き,オランダ医学の受容に貢献した。生没日は『寛政重修諸家譜』によるが,墓碑によれば享保15(1730)~天明3.7.30(1783.8.27)。<参考文献>今泉源吉『蘭学の家 桂川の人々』
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報