世界大百科事典(旧版)内の梓潼神の言及
【文昌神】より
…北斗星は消災解厄,保命延生をつかさどるとして古くから信仰されてきたが,南宋時代になるととくに文昌は学問・科挙の神として学校にまつられるようになった。これとは別に,六朝のころから,晋の張悪子が戦死してまつられたといわれる梓潼神(しどうしん)信仰が行われ,宋代には福禄と名籍をつかさどる神として,科挙の受験者に信仰された。このころから,文昌神と梓潼神が同一視されるようになり,元・明・清にわたって知識人の信仰を集めた。…
※「梓潼神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」