世界大百科事典(旧版)内の森の言及
【玖珠[町]】より
…玖珠川中流域に位置し,玖珠盆地の西半を占める。盆地北部の森は江戸時代には久留島氏1万2000石の陣屋町として栄えたが,1929年の久大本線の開通後は帆足,塚脇に町の中心が移った。玖珠盆地には水田が多いが,町域の大半を占める山林原野では牧牛が盛んで,木材やシイタケの生産も多い。…
【豊後国】より
… 関ヶ原の戦に呼応して旧領主大友吉統が捲土重来を期して,旧臣を糾合した速見郡石垣原(いしがきばる)の戦は,細川,黒田らの軍勢により大敗に終わり,ほかに西軍にくみした臼杵の太田,富来の筧,安岐の熊谷,府内の早川らが除封された。関ヶ原の戦後,府内に竹中,臼杵に稲葉貞通,海部郡佐伯に毛利,速見郡日出(ひじ)に木下延俊,玖珠郡森に来島(くるしま)長親が入部した。このうち,岡,臼杵,佐伯,日出,森の各藩は幕末に至るが,府内は,竹中氏の後,1634年(寛永11)からは日根野吉明が,58年(万治1)からは松平忠昭が城主となり,速見郡木付には,1632年からは小笠原忠知が,さらに45年(正保2)からは松平英親が領有して幕末に至る。…
※「森」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」