世界大百科事典(旧版)内の森戸・稲村論争の言及
【日本社会党】より
… 片山,芦田内閣での社会党の実態は,1949年1月の総選挙で国民の批判をうけ,片山,西尾ら幹部が落選し48議席に転落した。選挙の結果をうけた4月の再建大会では党の路線と性格づけをめぐって,改良的漸進と国民大衆党を唱える右派と社会主義への革命的変革と階級政党を主張する左派の間にいわゆる〈森戸(辰男)・稲村(順三)論争〉が展開され,左派が進出し書記長に鈴木が選出された。左右の対立は50年1月の第5回大会で人事と青年部問題をめぐり紛糾し党分裂となったが,まもなく妥協が成立し,4月の大会で統一を回復した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」