検地反対一揆(読み)けんちはんたいいっき

世界大百科事典(旧版)内の検地反対一揆の言及

【検地】より

…また検地は麦・稲の刈入れ後に行われることが多く,季節によって春検地と秋検地の別があり,春検地はその年から,秋検地は翌年から高に組み入れられるのが通例であった。検地の結果は農民生活に直接ひびいたので農民の関心も高く,実施に際しては検地役人が賄賂をとって手心を加えるなどの不正が起こったり,検地の結果訴訟が起こされたり,逆に訴訟によって検地が実施されたり,打出しをねらった検地などでは検地反対一揆が起こったりした。1842年(天保13)近江三上山一揆が8名獄死という犠牲をはらいながら検地を中止させたのはその一例である。…

【出羽国】より

…これによれば,検地は指出しの方法をとり,一定の換算率によって苅高を永楽銭の貫高にあらため,納入させるものであった。出羽地方に現在まで天正検地帳は残っていないが,その実施が現地の土豪たちに厳しいものであったことは検地反対一揆によって知ることができる。この一揆は庄内と仙北郡に起こった。…

※「検地反対一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む