楽善会訓盲院(読み)らくぜんかいくんもういん

世界大百科事典(旧版)内の楽善会訓盲院の言及

【盲学校】より

…またフランスの盲人ブライユの考案した点字がこの期に各国に普及し,盲教育の内容・方法に画期的進歩をもたらした。欧米に後れて近代化を開始した日本でも,文明開化の波の中から1878年小学校教師古河太四郎らによる京都盲啞院(現,京都府立盲学校)が誕生,80年には開明官僚,啓蒙家らにより欧米にならった楽善会訓盲院(東京。現,筑波大学付属盲学校)が発足した。…

【聾学校】より

… 日本では,明治初年に聾児の教育が試みられ,1878年古河太四郎らの尽力で京都盲啞院が開設された。また,80年には中村正直,津田仙,山尾庸三らによって東京に楽善会訓盲院が開設され,聾児も教育対象とし,84年には訓盲啞院となった。初期の教育方法は手話法であったが,大正時代に口話法が導入され,しだいに口話中心へと移行した。…

※「楽善会訓盲院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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