朝日日本歴史人物事典 「樋口謙貞」の解説
樋口謙貞
生年:慶長6(1601)
江戸前期の測量家,天文家。西洋式測量術の開祖。通称は権右衛門(権左衛門か),名は義信,謙貞は字。晩年小林姓を名乗る。長崎の人。正保3(1646)年キリシタンとして処刑された林吉右衛門(吉左衛門)に天文,地理を学ぶ。連座して21年間獄にあったが,刑期終了後は長崎奉行牛込忠左衛門の厚遇を受け,弟子を育てた。洋式航海術にも秀で,延宝3(1675)年の江戸幕府による無人島(小笠原諸島)探検の航海士に嘱望されたほどである(老齢の故をもって辞退)。著作に西洋天球論の『二儀略説』(写本),弟子が刊行した『世界万国地球図』(1708)がある。 その天文学は,細井広沢の『測量秘言』に「長崎にて天文と申し候(中略)此人より初り」と紹介されている。没年の天和3年の頒暦では月食ありとしていたが,それは誤りであることを指摘したことでも知られる。(盧千里『先民伝』)
(海野一隆、内田正男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報