世界大百科事典(旧版)内の横山時広の言及
【淡路国】より
…8世紀中期以後は淡路は皇族の配流の地となり,淳仁天皇,不破内親王,早良(さわら)親王らが流された。【直木 孝次郎】
【中世】
鎌倉時代の初め,武蔵の豪族横山時広が淡路守護となったらしいが,やがて近江の名族佐々木経高が阿波,土佐とともに3ヵ国の守護を兼ねた。経高は淡路国司の国務妨害,京都騒擾などの罪によりいったん解任され,横山時兼が守護となったが,時兼は和田の乱(1213)で没落し,経高が守護に復した。…
※「横山時広」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」