橘千蔭(読み)タチバナチカゲ

改訂新版 世界大百科事典 「橘千蔭」の意味・わかりやすい解説

橘千蔭 (たちばなちかげ)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の橘千蔭の言及

【加藤千蔭】より

…江戸中期から後期にかけての歌人,国学者。加藤枝直(えなお)の三男。加藤は通姓で,正式には橘氏。通称常太郎のち又左衛門。朮園(うけらぞの)などと号す。近世および近代の《万葉集》普及に多大の力を持った《万葉集略解(りやくげ)》の著者。10歳で賀茂真淵に入門。村田春海(はるみ)と並んで真淵の門派県門(けんもん)の双璧と称された。家職を継ぎ,町奉行吟味役,田沼意次の御用人などを歴任した。歌風は,真淵門下でありながら,新古今風の繊細さに特色を示し,家集に《うけらが花》がある。…

【万葉集略解】より

…注釈書。橘千蔭(加藤千蔭)著。1800年(寛政12)成立。…

※「橘千蔭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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