世界大百科事典(旧版)内の橘宗頼の言及
【神蔵荘】より
…成立後まもないころの領家は浄土寺大納言法師御房(藤原公房?)で,田数(公田)は28名716町5反であり,本年貢120疋を最勝光院御念仏衣服料として出すことになっていた。在地領主に宗形氏綱とその沽券(こけん)を受けた橘宗頼の名が見えるが,1199年(正治1)当時には関東補任の中原親能が下司,宗頼は下司代となっていた。1209年(承元3)親能の猶子大友能直が地頭下司職に補され,その子詫磨能秀が相続,以来詫磨氏が分割知行した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」