橘永愷(読み)たちばなのながやす

世界大百科事典(旧版)内の橘永愷の言及

【能因】より

…平安中期の歌人。没年は1050年(永承5)11月以後。肥後守橘為愷(ためやす)の子,俗名永愷(ながやす)。文章生となるが,26歳のころ出家。家集《能因法師集》に出家時の作〈今日こそははじめて捨つるうき身なれいつかはつひにいとひはつべき〉がある。直接の原因は不明だが,自己を愛し,積極的に生きるための出家であったことがわかる。彼の作歌は,実生活に即したものが多いが,僧侶の生活を詠んだ歌は少なく,道統や修行の詳細は明らかでない。…

※「橘永愷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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