世界大百科事典(旧版)内の歌数寄の言及
【数寄】より
…鎌倉時代に入ると,色好みとは区別して〈数寄〉という文字が使われるようになったが,それはもっぱら歌道の風流を意味する語として用いられていた。数寄が茶の湯を対象とするようになったことを示す早い例は,歌論集《正徹物語》(1444‐52ころ成立)であり,歌数寄に対して〈茶数寄〉という語が用いられている。1526年(大永6)村田珠光の嗣子宗珠のもとを訪れた連歌師宗長は〈下京茶湯とて,此ごろ数寄などいひて,四畳半敷,六畳舗,おのおの興行〉(《宗長手記》)と記しており,16世紀に入ったころには〈数寄〉という語が茶の湯を意味するようになっていたことが知られる。…
※「歌数寄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」