朝日日本歴史人物事典 「歌沢能六斎」の解説
歌沢能六斎
生年:文政9(1826)
幕末の戯作者,端唄・都々逸の作者。本名は萩原乙彦。幕府小普請役森宗兵衛の次男で,通称は語一郎。戯作名は2代梅暮里谷峨。嘉永6(1853)年以降は端唄・都々逸など流行歌謡の作詞に専念。安政4(1857)年,歌沢笹丸の誘いで歌沢連へ加入して能六斎と名乗ったが,数年にして去る。のち,書家萩原秋巌の養子になって乙彦と改名。明治初期には俳諧の新聞・雑誌を発行,13年静岡新聞社の社長に迎えられ,社説やコラムに健筆を振るった。女性問題がしばしば世間の話題になったので,江戸時代が生んだ珍無類の人物だと評する人もいる。<参考文献>三田村鳶魚『足の向く儘』
(倉田喜弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報