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萩原乙彦 はぎわら おとひこ

美術人名辞典の解説

萩原乙彦

戯作者。号対梅宇・梅星爺。後に二世谷峨と改める。又哥沢能六斉とも云う。徳川幕府の士森宇兵衛の弟・萩原秋巌養子俳諧を能くす。明治19年(1886)歿、61才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

萩原乙彦 はぎわら-おとひこ

1826-1886 幕末-明治時代の俳人,戯作(げさく)者。
文政9年生まれ。萩原秋巌の養子。月本為山(つきのもと-いざん)の門下。明治2年俳句雑誌「俳諧(はいかい)新聞誌」を創刊した。13年静岡新聞社長。明治19年2月28日死去。61歳。江戸出身。本名は森語一郎戯作号は梅暮里谷峨(うめぼり-こくが)(2代),歌沢能六斎(のろくさい)など。著作に「春色連理の梅」「東京開化繁昌(はんじょう)誌」など。

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世界大百科事典内の萩原乙彦の言及

【うた沢∥哥沢∥歌沢】より

…その一つ,江戸人形町大丸新道の女師匠さわの所に通っていた畳屋の平虎(ひらとら)(2世歌沢寅右衛門),は組火消しの辻音(つじおと)(1824‐94,本名福井音次郎)など,約50人あまりは,〈うたのおさわ〉の弟子というので,〈歌沢連〉と称していた。やがて,さわが亡くなり,妹,きわが稽古を続け,五百石取り旗本の隠居で笹本彦太郎(1797‐1857,号は笹丸,歌沢絃三),御家人の三男坊柴田金吉(初世哥沢芝金),小普請(こぶしん)方の次男森語一郎(1826‐86,のちの萩原乙彦,歌沢能六斎(うたざわのうろくさい))といった武家も仲間となり,端唄の流行が,三味線の騒ぎ歌としかみられなくなったのを嘆いて,〈もっと品のよい重みのある歌,節もていねいに細かくうたうようにしたらどうか〉と考えたのが,端唄を母体とした新しい三味線小歌曲の創作であった。学識のある笹本彦太郎が中心となり,秘書役で森語一郎,平虎,柴田金吉,辻音,そのほか数人が参画,水が集まって〈沢〉になるごとく,いろいろな音曲を加味した〈歌〉の集大成といった意味を含めて〈歌沢〉と称することにした。…

【梅暮里谷峨】より

…以後《契情買言告鳥(けいせいかいいいつげどり)》(1800),《甲子夜話(きのえねやわ)》(1801)など後編続編を持つ作品が多く,後の人情本の基礎を作った。幕末の戯作者萩原乙彦(おとひこ)が2世谷峨を継いだ。【水野 稔】。…

※「萩原乙彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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