世界大百科事典(旧版)内の《正法輪蔵》の言及
【聖徳太子】より
… 中世には,橘寺,広隆寺など周辺の太子にかかわる天台寺院,そして,太子創建と伝える京都の六角堂に参籠した親鸞が夢告を受け回心したと伝える(聖徳太子内因曼荼羅)ことを契機とする,親鸞の太子信仰を継承する高田専修寺派を中心とする浄土真宗寺院によって太子伝の絵解き唱導が広く行われ,大量の絵伝と物語化した太子伝記が生みだされた。その典型は,1320年(元応2)ころに四天王寺で製作された《正法輪蔵》で,それは中世に醸成された太子をめぐる豊かな秘事口伝を含む。たとえば太子の乗る黒(烏)駒は,《補闕記》に烏斑の駒に乗り富士や北国に遊行したことを記すが,《伝暦》以降,これを甲斐の黒駒として,最愛の妃膳(かしわで)大娘をめとる事跡とともに27歳の条に記される。…
【藤原鎌足】より
…このようにして,鎌足の伝説が徐々に形成されてくるが,《聖徳太子伝暦》でもその末尾に鎌足らの入鹿誅伐が記されているところから,中世の聖徳太子伝の展開にしたがって,鎌足伝説もまた展開してゆく。《正法輪蔵》(文保年間(1317‐19)までに成立)では,まず春日社縁起とともに鎌足が常陸国で誕生したとする。これは古く《大鏡》などにも見られる説であるが,鎌足と鹿島明神とのつながりを示そうとしたものらしい。…
※「《正法輪蔵》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」