《此ほとり》(読み)このほとり

世界大百科事典(旧版)内の《此ほとり》の言及

【几董】より

…72年(安永1),父几圭の十三回忌追善の意味をもつ処女撰集《其雪影》を刊行して世に認められ,翌年はじめて歳旦帳《初懐紙(はつかいし)》を刊行し,自分の結社である春夜楼の存在を世に示した。またこの年には蕪村,樗良(ちよら),嵐山とともに《此ほとり》の四歌仙を巻き,さらにその翌年には,上京してきた暁台(きようたい)と交わるなどして他門にも知られるようになった。《あけ烏》(1773),《続明烏》(1776)など,蕪村一派の力を世に問う撰集を編纂し,その中心人物として内外から認められた。…

※「《此ほとり》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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