世界大百科事典(旧版)内の武恵の言及
【玄宗】より
…その最強のものが平廬,范陽,河東の3節度使を兼ねた安禄山である。 だが玄宗はしだいに意欲を失い武恵妃さらに実子寿王の妃楊玉環(楊貴妃)を溺愛し,政治を顧みなくなり,管絃,宴遊にうつつをぬかすありさまであった。李林甫が死に,貴妃の縁につながる楊国忠が実権を握ると,不仲の安禄山は755年(天宝14)11月,君側の奸楊国忠を除くと称して兵を挙げ(安史の乱)洛陽をおとして帝位につき,さらに兵を派して長安に迫った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」