武田晴信(読み)たけだはるのぶ

改訂新版 世界大百科事典 「武田晴信」の意味・わかりやすい解説

武田晴信 (たけだはるのぶ)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「武田晴信」の意味・わかりやすい解説

武田晴信
たけだはるのぶ

武田信玄

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の武田晴信の言及

【信濃国】より

…このような状況下で,すでに甲斐一国を領有する戦国大名に成長していた武田氏による信濃国の領国化が開始された。1542年(天文11)父信虎を追った武田晴信(信玄)は,諏訪惣領家を滅亡させ,その後小笠原・村上氏を撃破して53年には北信を除く信濃をほぼ掌中にした。なお小県郡の一土豪であった真田氏は,武田氏被官となり武田氏の領土拡大に伴い,小戦国大名として成長した。…

【武田信玄】より

…戦国期の武将。初め甲斐国の大名で,のちに信濃,駿河と上野,飛驒,美濃,三河,遠江の一部を領有する戦国大名となる。父は信虎。幼名を太郎,勝千代といい,元服して晴信と称し,官途は大膳大夫,信濃守に任ぜられた。1559年(永禄2)に出家して信玄と号し,法性院ともいう。武田氏は清和源氏の一族で,鎌倉初期には信義が甲斐国守護に任ぜられ,以後歴代が守護職をつぎ,信玄は守護としては17代目である。1541年(天文10)に,父信虎を駿河の今川義元の所へ追い,当主となる。…

※「武田晴信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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