朝日日本歴史人物事典 「武田物外」の解説
武田物外
生年:寛政7(1795)
江戸後期の曹洞宗の僧,武術家。幼名は吉次郎,寅雄,諱は不遷,物外は僧名。武田信玄を尊崇し,自身も武田を名乗ったとされる。大力無双をうたわれ,拳骨和尚の異名で知られる。伊予国(愛媛県)松山に生まれる。父は松山藩士三木兵太。松山竜泰寺の小僧となり,11歳で広島伝福寺に引き取られた。幼時から武芸を好んで内緒で修行し,柔術は難波一甫流を,長じてからは一心流鎖鎌,山田流手裏剣,宝蔵院流槍術から大坪流馬術まで習得。自身はこれらを総称して物外流とも不遷流とも唱えた。16歳から18歳まで大坂で儒学を学び,19歳から遍歴修行の生活に入り,天保1(1830)年尾道済法寺の住職となった。諸国遍歴中,新選組の近藤勇と立ち合い,木椀2個で槍をはさんで負かしたと伝えられる。幕末は国事に奔走し,特に幕府と長州藩との調停に尽力。慶応1(1865)年には京都に上り,長州征討の中止を孝明天皇に嘆願している。京都から尾道への帰国途中,大坂で病没した。
(加来耕三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報