武石弘三郎(読み)たけいしこうざぶろう

世界大百科事典(旧版)内の武石弘三郎の言及

【明治・大正時代美術】より

… 一方,明治美術会には長沼守敬,菊地鋳太郎(1859‐1944),大熊氏広が参加して彫塑部が置かれ,99年には岡倉らの去った東京美術学校に洋風彫塑の課程が置かれた。美術学校彫塑科の初代教授に長沼,まもなくそのあとを藤田文蔵が継ぎ,白井雨山(1864‐1928),渡辺長男(1876‐1952),武石弘三郎(1878‐1963),高村光太郎らが育つ。彼らは青年彫塑会(1897結成)に拠り,木彫家をもまじえて技術上の交流をはかった。…

※「武石弘三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む