世界大百科事典(旧版)内の殿中申次の言及
【御前沙汰】より
…4代義持の時代にははっきりその形を現さないが,6代義教は義満の制にならって御前沙汰を行い,以後幕府の最高評議の場となった。応仁の乱後10代義材(よしき)(後に義稙(よしたね))のころからは,会議には将軍は臨席せず,殿中申次と呼ばれる側近衆が会議の結論を持って将軍の下に参じ,裁可を仰ぐように変わり,12代義晴のころには,この側近衆を内談衆(内談方)と呼んでいる。【桑山 浩然】。…
※「殿中申次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」