世界大百科事典(旧版)内の民族主義者戦線の言及
【トルコ共和国】より
… この間,74年7月,キプロス島にクーデタが起こり,ギリシアへの一体化を求めるエノシス派のサンプソン政権が生まれると,当時のエジェウィト首相はキプロスにトルコ軍を派遣し(トルコ軍は北部を占領し,トルコ系住民は1975年2月デンクタシュ副大統領を元首とするキプロス・トルコ連邦国を宣言),国民の支持を受けたが(キプロス問題),それにより財政収支が悪化し,73年末以来の石油危機による経済危機をさらに悪化させた。75年3月,再び政権に帰り咲いたデミレルは,保守系4党とともに〈民族主義者戦線〉とよばれる保守連合を形成し,チュルケシュとエルバカンはともに副首相の地位に就いた。以後2年半におよぶ保守連合政権も,石油危機以来の経済不況を立て直すにはいたらず,インフレ,失業,貿易収支の赤字,農村人口の流出による都市郊外のスラム化など,トルコの経済・社会は悪化の一途をたどった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」