世界大百科事典(旧版)内の《民権弁惑》の言及
【外山正一】より
…98年伊藤博文内閣の文相として文教政策に専念しようとしたが,その任期わずか2ヵ月であった。〈スペンサー輪読の番人〉という世評が立ったくらい,スペンサー思想に傾倒し,進化論的人権論を鼓吹する《民権弁惑》(1880)を著して,国権論者加藤弘之と対立した。その学風は実証的で,日本古代の家族制度や政治制度を考究した諸論考は,社会学的実証主義の素地をなすものである。…
【ピューリタン革命】より
…したがってこの革命に対する認識が深化していくのは,明治維新後ことに自由民権運動期を待たねばならなかった。すなわちF.P.G.ギゾーなどの著書の翻訳を通してこの革命の史実がしだいに伝えられ,それと並んで啓蒙的な書物,たとえば外山(とやま)正一の《民権弁惑》(1880)などにはかなり詳細な革命の経過叙述がみられるようになった。だが自由民権運動の原点がフランス革命に求められたことや,当時イギリスが〈万事の改革すでに成りたる〉立憲君主制のイメージでとらえられていたことが相まって,この〈革命〉への全面的な認識には至らなかった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」