世界大百科事典(旧版)内の永明体の言及
【沈約】より
…このような家庭環境にもかかわらず,努力と持ちまえの詩文の才によってめきめきと頭角をあらわすにいたった。南斉の永明時代(483‐493)には竟陵王蕭子良(しようしりよう)のサロンに集って,〈永明体〉とよばれる詩風の旗手となり,そこで知りあった蕭衍(しようえん)(梁の武帝)がやがて梁王朝を創業すると,尚書令に進んで官界に重きをなし,文学界,思想界ににらみをきかせた。《宋書》100巻の著作のほか,その詩文は《文選》などに,仏教に関する思想論文は《広弘明集(こうぐみようしゆう)》などに採られて多数が伝わる。…
※「永明体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」