世界大百科事典(旧版)内の永楽の瓜蔓抄の言及
【永楽帝】より
…対外活動だけでなく,文化事業についても,徹底的に大規模かつ壮大であったわけであるが,永楽帝の治世は,外面的な華やかさのかげに,いくつかの暗黒部分をともなっていた。靖難の変後,建文帝側近の重臣とその家族にとられた一族誅滅の処置は,〈永楽の瓜蔓抄(つるまくり)〉とよばれ,後世から残虐ぶりを非難されている。また,簒奪者のうしろめたさで,血縁も官僚も信じられなかった永楽帝は,側近の宦官を重用した。…
※「永楽の瓜蔓抄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」