永登浦(読み)えいとうほ

世界大百科事典(旧版)内の永登浦の言及

【ソウル】より

…南大門外の京城駅(現,ソウル駅)からは北部地方,嶺南(慶尚道)・湖南(全羅道)地方,京城の外港仁川へ鉄道が伸び,東大門外の清涼里駅は嶺東(江原道)・太白地域,元山方面への発着点となった。植民地時代の後半には,工業の発達もみられ,漢江対岸の永登浦を中心に繊維,食品,ガラス,若干の機械工業がおこったが,これらの工業は朝鮮の民衆の生活上の必要からではなく,日本の中国大陸への侵略を支援する兵站(へいたん)基地の建設という要請による側面が顕著であった。文化面では,日本の朝鮮統治の重要な側面である同化政策の一環として,教育が重視され,東京大学をモデルにして建物の配列の雰囲気までが似ていたとされる京城帝国大学(1924)をはじめ各種の専門学校などが設立された。…

※「永登浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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