世界大百科事典(旧版)内の江口の遊女の言及
【江口】より
…江口の地が史上にその名を知られるのは,交通の要衝であることから生み出された遊興施設の存在であり,なかでも観音,中君,小馬,白女,主殿をはじめとする遊女が,小端舟と呼ばれる舟に乗って貴紳の招に応じたことは,当時の日記が多く物語る。住吉社や熊野等への参詣時における貴族と遊女の交流の中から,芸能や文学が生み出されており,《十訓抄》に〈江口の遊女妙は新古今の作者也〉とみえるのをはじめ,《梁塵秘抄口伝集》に〈其おり江口・神崎のあそび女ども今様を唱その声又かくべつなり。(中略)昔は江口・神崎の流と云て,いま江口・神崎に有所の伝来の今様ハ〉等とある。…
【江口】より
…観阿弥作か。シテは江口の遊女の霊。旅の僧(ワキ)が摂津の国に赴き,江口の遊女の旧跡を訪れると,若い女(前ジテ)に呼びとめられる。…
※「江口の遊女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」