江尻城(読み)えじりじょう

世界大百科事典(旧版)内の江尻城の言及

【江尻】より

…ついで今川義元・氏真は廻船の諸役を免除,江尻を宿場町・湊町として保護した。武田氏の駿河侵入後,巴川の蛇行を利用して外堀とした江尻城が築かれ,城下町が整えられ城主穴山信君(梅雪)は江尻を起点に興津・蒲原を経て甲州に通じる伝馬制を実施,南甲州から駿河の領国経営の中心とした。1601年(慶長6)東海道の宿駅に指定され,それまで江尻が持っていた湊の機能は巴川河口の南下,駿府城下町の形成と同時に行われた新しい清水湊の建設によって失われ,江尻は以後宿場町となった。…

※「江尻城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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