世界大百科事典(旧版)内の江戸二大祭の言及
【山王祭】より
…1681年(天和1)以後,神田明神の神田祭と隔年で行うことになった。山王祭は神田祭とともに江戸二大祭とされ,本祭も神田祭と隔年で,子寅辰午申戌の年に行われた。近年は交通事情も悪化し,2日にわたった神幸祭も例祭日の6月15日の前々日の1日となり,都心を一巡して神社へ帰る。…
※「江戸二大祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…1681年(天和1)以後,神田明神の神田祭と隔年で行うことになった。山王祭は神田祭とともに江戸二大祭とされ,本祭も神田祭と隔年で,子寅辰午申戌の年に行われた。近年は交通事情も悪化し,2日にわたった神幸祭も例祭日の6月15日の前々日の1日となり,都心を一巡して神社へ帰る。…
※「江戸二大祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...