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江戸太夫藤十郎(2代) えどだゆう とうじゅうろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

江戸太夫藤十郎(2代) えどだゆう-とうじゅうろう

十寸見藤十郎(ますみ-とうじゅうろう)(2代)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

江戸太夫藤十郎(2代)

没年:延享1.4.30(1744.6.10)
生年:生年不詳
江戸中期の河東節の太夫。2代目十寸見藤十郎としても知られる。鍼医で本名は桜井東寿。初代十寸見河東の門弟で前名は夕丈といった。初代十寸見河丈とは共に初代河東のワキを語っていたが,初代河東の没後仲たがいをする。結局河丈が2代目河東を継ぎ,夕丈はおそらく享保16(1731)年ごろに,初代河東の本名を継いで江戸太夫藤十郎を名乗った(一説には初代の養子になったともいう)。初代河東の三味線を弾いていた初代山彦源四郎と組み,歌舞伎芝居で活躍した。特に18年1月江戸市村座で語った「富士筑波二重霞」は,河東節としては初めての「助六」で大当たりとなり,以後河東節の代名詞ともなる「助六」の土台をつくった。元文2(1737)年ごろ引退し,名を清海栄軒と改め,その後は松浦家に医師として召し抱えられたという。

(吉野雪子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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