世界大百科事典(旧版)内の江湖社の言及
【市河寛斎】より
…寛斎も18世紀末に清新派に転じ,南宋の陸游や范成大を手本とする日常的な詩情に富んだ平明な詩風を主張して,たちまち新しい詩風の指導者となった。江湖社(こうこしや)という詩社を開いて,大窪詩仏,柏木如亭などの詩人を育て,江戸後期の漢詩壇に大きな役割を果たした。詩集に,古文辞派時代の作品を収めた《寛斎摘草》(1786),清新派に転じてからの作品を収めた《寛斎先生遺稿》(1821)があるほか,上代以来の日本の漢詩史を記述した《日本詩紀》(刊年不詳),《全唐詩》に漏れた作品を日本に伝存する資料によって補った《全唐詩逸》(1804)などの学問的著述もある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」