池田信輝(読み)いけだのぶてる

世界大百科事典内の池田信輝の言及

【池田氏】より

…(1)南北朝・室町・戦国期の摂津の国人。橘諸兄の後裔とする伝承があるが不詳。1363年(正平18∥貞治2)の幕府文書に摂津守護赤松光範の被官として池田親政とあるのが初見。南北朝中期,守護より加茂庄(現,兵庫県川西市)の半済地をあてがわれ,また垂水西牧小曾禰村(現,豊中市)の番頭にも名がみえる。室町期には守護細川氏の有力被官となり,伊丹,吹田両氏と並ぶ摂津屈指の土豪に成長した。加茂,垂水のほか,細川庄,桜井郷など各荘園の代官を兼ね,給分を資本に高利貸も行って,応仁の乱ころは年収1万2000貫,〈富貴無双〉とうたわれた。…

【池田恒興】より

…安土桃山時代の武将。通称勝三郎,剃髪して勝入(しようにゆう)と号した。《寛政重修諸家譜》などは信輝とするが,この実名は確実な史料には見えない。母養徳院は織田信長の乳母。織田氏の諸征服戦に従軍,とくに1580年(天正8)摂津の荒木氏を攻めて勲功をたて,同国内で領知を与えられ,高山・中川・安部・塩川・伊丹衆を与力とし,翌年摂津軍団を率いて因幡鳥取城攻略の助勢を命ぜられた。82年の本能寺の変後は羽柴(豊臣)秀吉にくみして明智光秀を山崎に破り,また織田氏の遺領を処分するため清須会議に参加し,父子で大坂・尼崎・兵庫12万石余を領した。…

※「池田信輝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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