世界大百科事典(旧版)内の河北路の言及
【河北[省]】より
…唐末から五代にかけては北方の契丹民族が発展して遼国を立て,後晋の建国を援助した代償として本省の万里の長城以南の地を譲り受け(山西省の大同を中心とした地域と合わせて燕雲十六州という),今の北京を南京(のち燕京といった)と称して副都とした。したがって,宋では本省の南半部を領有していたわけで,これを河北路といっていたが,やがて契丹の北方から女真族が起こって金国を立て,12世紀の初めには宋の勢力を完全に華北から駆逐した。金では今の北京に都を移して中都(のち大都といった)と名付け,本省の地域を中都路と称した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」