泊瀬部皇子(読み)はつせべのおうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「泊瀬部皇子」の意味・わかりやすい解説

泊瀬部皇子
はつせべのおうじ

崇峻天皇」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の泊瀬部皇子の言及

【崇峻天皇】より

…在位587‐592年。《日本書紀》によれば,欽明天皇の皇子で母は大臣(おおおみ)蘇我稲目の女の小姉君(おあねのきみ),幼名を泊瀬部(はつせべ)皇子といった。587年用明天皇の死後,大臣蘇我馬子は大連(おおむらじ)物部守屋を攻め滅ぼして,その権力を確立すると,敏達皇后の豊御食炊屋姫尊(とよみけかしぎやひめのみこと)(推古天皇)らとともに,泊瀬部皇子を推して即位させた。…

※「泊瀬部皇子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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