世界大百科事典(旧版)内の《法華堂根本曼荼羅》の言及
【釈迦】より
…鎌倉時代の釈迦信仰の流行に伴って多くの模刻像が造られた。 絵画作品としては,法隆寺金堂壁画中には釈迦を主尊とする浄土,すなわち釈迦浄土図があり,霊鷲山(りようじゆせん)における釈迦の説法の情景を描いた〈霊鷲山釈迦説法図〉としてもと東大寺法華堂に伝わった《法華堂根本曼荼羅》(ボストン美術館)や《釈迦説法図繡帳》(奈良国立博物館)など,飛鳥・奈良時代の作品がある。また涅槃図や仏伝図としても多くの作品があり,ことに応徳3年(1086)の銘を有する涅槃図や再生説法を描いた《釈迦金棺出現図》(京都国立博物館)などは,平安時代の著名な作品である。…
【珍海】より
…しかしそれらから珍海の筆様・作風をうかがうことは困難である。1148年(久安4)には,当時東大寺別当であった寛信の命を受けて《法華堂根本曼荼羅(霊鷲山説法図)》(ボストン美術館)の修補を行っている。【百橋 明穂】。…
【東大寺】より
…現在,宮内庁所管となっている正倉院の工芸品,聖経,文書類も,本来東大寺のものだが,これらについては〈正倉院〉の項目を参照されたい。また流出して現在はボストン美術館蔵となっている《法華堂根本曼荼羅》は,奈良時代仏画の貴重な遺品である。(2)平安時代 平安時代は東大寺が国家の後ろだてを失って独自の活動を始める時代だが,残された文化財は多くない。…
【奈良時代美術】より
…なかでも〈変〉(変相図)が多く,特に浄土変が流行した。今わずかに《法華堂根本曼荼羅》(ボストン美術館。東大寺法華堂旧蔵),綴織《当麻曼荼羅》(当麻寺)に往時をしのぶことができる。…
※「《法華堂根本曼荼羅》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」