世界大百科事典(旧版)内の津軽三関の言及
【碇ヶ関[村]】より
…岩木川支流の平川上流の山地を占め,秋田県に接する。中心の碇ヶ関は天文年間(1532‐55)に記された《津軽郡中名字》には〈瞋ノ関(いかりのせき)〉とあり,近世に参勤交代の通路として羽州街道が通じてからは津軽藩主の〈御仮屋(おかりや)〉が設けられ,大間越(おおまごし),野内(のない)とともに津軽三関の一つに数えられる番所が置かれた。村域の9割近くを山林が占め,その大部分は国有林からなり,農業は若干の米とリンゴを産するにすぎない。…
【岩崎[村]】より
…1603年(慶長8)に津軽藩領となる以前は秋田藩領で,現在でも秋田県能代市とつながりが強い。県境近くの大間越(おおまごし)には近世に野内(のない),碇ヶ関(いかりがせき)と並び津軽三関に数えられる番所があった。村名は岩崎漁港に突出している弁天島が岩崎と呼ばれたことに由来する。…
※「津軽三関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」