洪範十四条(読み)こうはんじゅうよんじょう

世界大百科事典(旧版)内の洪範十四条の言及

【甲午改革】より

…その多くは開化派の年来の構想に基づいていたが,日本の軍事力を背景とした上からの改革という性格は免れがたく,死文化したものも少なくなかった。日本はさらに井上馨を公使に派遣して大院君を退ける一方,12月,日本亡命から戻った朴泳孝を加えて新内閣を発足させ,翌95年1月にはこれまでの改革条項を再整理した〈洪範十四条〉を高宗の名で宣布,改革の促進・定着を図った。だが,日本による過度のおしつけは開化派政権への反発を強め,三国干渉ののち日本勢力が後退して7月初旬に朴泳孝が追放されると,改革は一頓挫を余儀なくされた。…

※「洪範十四条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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