《流沙墜簡》(読み)りゅうさついかん

世界大百科事典(旧版)内の《流沙墜簡》の言及

【敦煌】より

…第2次探検による漢代木簡の発見は,1901年にS.A.ヘディンとスタイン自身によって発見されていた晋代木簡を別にすると,近代における漢簡出土の最初であったので大いに注目を集め,その釈文と研究があいついで発表された。まずフランスの東洋学者K.シャバンヌが1913年に全簡の釈文と訳注とを588簡の写真を付して出版し,ついで翌年に京都に亡命中であった羅振玉王国維による《流沙墜簡》が日本で刊行され,精緻な考証が加えられたのである。なお,第3次探検収集の木簡についてはフランスの東洋学者H.マスペロによって研究された。…

※「《流沙墜簡》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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