世界大百科事典(旧版)内の浙東学派の言及
【浙江[省]】より
…
[浙江文化]
このような風土をもつ浙江には,独特の芸術や思想が生まれた。特に発展した経済を背景に,現実的な思想が尊重され,宋代の思弁的な朱子学に対し,実学をとなえた呂祖謙らの金華学派(婺学(ぶがく)),薛季宣(せつきせん)(1134‐73)らの永嘉学派,陳亮らの永康学派(総称して浙東学派という)はその代表であろう。また清代には黄宗羲,万斯同,全祖望,章学誠など,史学を重視する学風も浙東に生まれた。…
【余姚】より
…東の寧波と西の紹興・杭州を結ぶ浙東運河の中間にあり,前面には肥沃な平野が開けて,浙東における有力な地域中心の一つであった。明・清には,王守仁(陽明),朱舜水,黄宗羲など浙東学派の指導者を輩出した。南の四明山は名勝の地として有名で,また市の東,余姚江沿いに長江(揚子江)下流域で最も古い新石器時代文化層を有する河姆渡(かぼと)遺跡がある。…
【両浙】より
…特に明・清時代に両地域に生まれた学術文化の性格の差は,同じ江南でありながら大きく,つねに経済文化の中心にあって華美であっても一面退廃的になりがちであった浙西に対し,浙東は質朴を尊び,また強い実践への意欲をもった。清代の考証学においては黄宗羲(こうそうぎ),万斯同(ばんしどう),全祖望らが浙東に輩出し,浙東学派と呼ばれる。この地域性の差は,古くさかのぼれば呉・越の文化の差に起源をもとめることができる。…
※「浙東学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」